私の家族は血が繋がっていません。
私が16歳の時に血の繋がりのある父と母が離婚し、1年後に再婚。再婚相手に連れ子がおり、血の繋がっていない母と弟との生活が始まる。
血の繋がった姉も一緒に暮らしていたのですが、血の繋がりのある父と喧嘩し、私が17の時に家出した。
この時点で血の繋がりがあるのは父だけ。
同居している家族の中で唯一血の繋がっている父でしたが、私が19歳の時に急死した。これで、同居している家族の中に血の繋がりはなくなった。
血の繋がりをあまり意識しなかった
血の繋がっている家族が少なくなった私ですが、それほど気にはしなかった。鉢の繋がった父、母、姉が私の元から去って行きましたが、私には家族がいる。
血は繋がっていない。
それでも家族だ。
血が繋がっていなくても本当の子供のようにせしてくれ、私の心の支えになってくれたことは確かなことだし、貴重な時間。
また、「血の繋がり」ということについて、良い勉強にもなった。
結婚、離婚、再婚。
この3つの「婚」は人生で最大の分岐点にもなる。ただ、血の繋がったもの通りが、この3つの「婚」をすることはない。
こんな重要な分岐点にもかかわらず、私たち人間は血の繋がり関係なく3つの「婚」をするのです。
私の父と母も、元々は他人。子供の私からすれば血の繋がりはあるが、父と母には血の繋がりはない。
血が繋がっていなくても大切な人は大切な人。その人を守れるかどうかであって、血の繋がりは、それほど重要ではないのではと、最近考えている。
血の繋がった家族としてみたかったこと
血の繋がっていない家族だとしても、私にとっては大切な家族です。それはわかっているのですが、もし血の繋がった家族が皆生きているなら、1度でもいいからみんなでお酒を飲んでみたかったなと思う。
もう、それは叶わないことだけど、当たり前のように血の繋がった家族と実家でお酒を飲んでいる人は多いと思う。
私の場合、親孝行する前に両親が去っていったので、何もしてあげることもできない。だから、今の「血の繋がっていない家族」に孝行している。
血が繋がっていない人との生活は自分を変える
いきなり血の繋がっていない家族と生活することになると、いろいろ考えさせられます。
血が繋がっていなくても母は母なんですが、母に向かって母と呼ぶことができないんです。恥ずかしさからなのかもしれない。自分でもわからないけど、さん付けで呼んでしまう。
これに関しては、もう10年以上経っていますが、これでも「家族」には変わりない。
食の違い
そのほかにびっくりしたのが「食の違い」。
私の元々の家族は冷凍食品を普通に食べる家族でしたが、新しく来た現在の母と弟は冷凍食品を全く受け付けない家族だったのだ。
家族によって、これほどまで色が違うんだなと実感した。肉に関しても産地を気にしたりと、私たちの家族と全く違う食生活だった。
まあ、私は美味しければ産地など気にしないタイプでしたが、母は結構気にしています。
食文化の違いとはでは生きませんが、家族によって食生活の違いはあるんだなと、この時初めて気がつきましたし、考えさせられた。
コミュニケーションの違い
新しい家族の母と弟はコミュニケーション能力が非常に高い人なのですが、元々の家族の父と私はコミュニケーション能力がかなり低いことはよく覚えている。
私は現在、父と同じように人を避けるような生活をしていますし、私の父も人間を避けるような生活をしていたのは覚えている。
父が亡くなった時に携帯電話を確認したのですが、電話帳に登録されている番号の数が少なかったことは、今でも忘れてはいない。
その生活を私はしっかりと受け継いでいるというわけだ。
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父と新しく家族となった母の2人は、父が亡くなる間際まで、喧嘩をよくしていた。あまり仲は良くなかった。
父は家族内で孤立するようになったのですが、今の私であれば、少し父の気持ちがわかるような気がする。
多分、家族みんなに気に入られようと「いい人」になりすぎていたのかもしれない。1人でストレスを抱え、それを吐き出すような趣味もなく、自分の心の憶測に溜め込むしかできない。
お金もないから遊ぶこともできずに、ひたすら我慢していたんだと思う。ストレスで円形脱毛症になっていたくらいだったし・・・。
家族によって生活スタイルが違うのは知っていましたが、一緒に暮らすとなっても父母子に「多少の距離感」は必要だと私は思う。
たまには父と母が「1人になれる時間」を上手に作らないと、2人ともストレスが溜まっていくこともわかった。
血の繋がりあってもなくても大切なこと
血の繋がりがあろうがなかろうが大切なことがあるんだなと、私の親のおかげで気づかせてもらった。
- お互いの時間
- 他人のために動けるか
- 暴力がしつけというわけではない
これらのことは、家族と1つ屋根の下で生活する場合は非常に大切です。
お互いの時間
家族によると思いますが、常にリビングで家族みんなでテレビを見たりする場合もあれば、お互いが1人の時間を満喫する形もある。
この2つの時間の非常に大切。
家族であっても、毎日24時間ずっといることはストレスを感じます。かといってずっと一緒にいないのもストレスを感じます。
このバランスをとることは難しい。
他人のために動けるか
また、人のために動けるかについては、家族でなくても必要なことですね。思いやりが家族愛になることもありますし、恋愛につながることだってある。
自分のことよりも相手のことを思いやれる「心の余裕」がなければ家族などに八つ当たりしてしまう。
暴力がしつけというわけではない
私の父はたまにストレスを爆発させるためか、家族に八つ当たりすることがあった。
時には元母に対して暴力を振るうこともあった・・・。これに関してはあまり思い出したくない記憶ですが、父の怒号、母の鳴く声、何かの打撃音。
このような声と音が私の部屋の隣から聞こえてくるのです。当時中学生くらいだったかな。とてもじゃないけど楽しい家族という関係ではなかった。
もちろん、姉と私に対しても暴力を振るうこともあった。しつけとして暴力を振るっていたのかもしれないが、ただ、家族を服従させるためにも感じた。
今思えば、あれはしつけではない。家族みんなをコントロールさせてため、恐怖を植え付けるための暴力にしか感じられない。
今から「血の繋がりのない家族」と生活をする人に向けて
もうすぐ血の繋がりのない家族との生活が始めるという人はいると思います。
親として、今年して、どちらの立場であっても血の繋がりのない家族と生活することは、初めは気を使うと思います。
同居する前に頻繁にあっていた場合は別ですが、それほど仲良くなっていないのにもかかわらず同居することになった場合は、かなり気を使います。
しかし、ここで考えすぎないでください。気づかないうちにかなりストレスを溜め込んでしまいます。
開き直るってわけではないのですが、血の繋がりのない家族と「友達」のように接すれば、気は楽になります。
相手もこちらが気を使っているそぶりを見せると、気を使ってしまうので、友達のような気を使わなくていいような存在だと思えばいいのです。
血が繋がっていなくても家族
このような形の家族は、気づいていないだけで周りにはたくさんいます。血の繋がりも大切ですが、血の繋がりよりも「育てる、育てられていることを実感すること」。
産みの親より育ての親とも言いますしね。
けど、私は産みの親と育ての親「2人の母」がいるんだと思っています。他の人よりもちょっと得した感覚です。
血が繋がっていない家族だから、血の繋がっている家族より劣っている、幸せではないと思わないでください。
いい人生勉強をしている最中と思えばいいのです。血は繋がっていなくても大丈夫。
繋がっていなければ「繋がっていないからこそできる家族愛」を築くことができますよ。